YAPC::NA は16年の歴史を持つ今夏開催されるYAPC::Asia Tokyo 2015の元となったカンファレンスです。今年はSalt Lake Cityで開催されました。
自分は今年でYAPC::Asia Tokyoに一区切りが付くので、2000人規模のイベントを開催するにあたってどういうところに注意をしながら今まで準備をしてきたのか、などのノウハウをシェアするトークを発表するためと、Perl界隈の人達と旧交を温め、新しいつながりを求めて参加しました。
今年の会場はアメリカはユタ州のソルトレイクシティーです。アメリカには長いこと住んでいましたがユタ州には来たことがなく、初上陸です。ユタ州と言えばステレオタイプ的なイメージでは砂漠やモルモン教なのですが、どちらもその姿を見かける事なく若干拍子抜けでした。ソルトレイクシティーの印象は若干乾いた気候の普通のアメリカの地方都市でしたが、特筆すべき点としてはとにかくアメリカにありがちなただの平たい景色ではなく、町の後ろに雄大な山々が鎮座しているのがとても印象的で美しい景観でした。
会場はLittle America Hotelというホテルの一階にあるレセプションルームを使って行われました。大きい500人程度収容可能な部屋がひとつあり、キーノートやLightning Talkの時はその部屋全体を使います。それ以外の時間帯ではその部屋を3分割し、100名前後の部屋を三つにしてセッションが行われていました。
日本だと何日か続くイベントの場合はその都度帰宅するのでずっと会場にいる人は限られてきますがYAPC::NAの参加者は基本的に会場と同じホテルか、隣のホテルなどに泊まっているので三日間ずっと会場にいる人が多いです。私も会場と同じホテルに泊まったので移動はずいぶん楽でした。
会場と皆さんの宿泊場所が同じせいかもしれませんが、カンファレンスはとてもリラックスした雰囲気でゆったりと進んでいきます。
YAPC::Asia Tokyoの主催者としてカンファレンス会場に来ている人達をみていつも感じてるのは「参加者の皆さんは本当に一生懸命トークを聞きにいくな」ということです。皆さん本当になるたけ多くを吸収しようと頑張っているのだとは思いますが、YAPC::NAでは参加者達は興味のあるトークの時間以外はその辺りで四方山話に花を咲かせていたり、施設内のバーでお酒を飲んでいたり、はたまた部屋で仕事をしていたりとかなりみんな自由に過ごしています。多分一日を通してずっとトークを聞いている参加者は一人としていないのではないでしょうか…?
会場に置いてあったピアノを弾いて待ち時間を過ごす人もいました。ちなみにこの方はジャズピアノを弾いていましたね。
とは言え、ホテル内の会場という環境の違いや、このイベントの参加者の人達はそもそも交流をしに来ているという共通認識があるので知らない人に声をかけることも簡単にできるという事もあるので同じような雰囲気を期待するのは無理でしょう。それでも今年のYAPC::Asia Tokyoでもなるたけ交流が生まれるといいなと願っております。
関係者に聞いたところこのようなホテルの施設を借りてイベントを執り行うと会期中の飲み物や軽食を合わせた状態で施設利用契約をするそうで、そのおかげで会期中はお菓子、フルーツ、コーヒー、ソフトドリンクは飲み放題、食べ放題でした。さすがアメリカ、という感じですが、イベント主催者としては「う、ここで無理矢理コストを追加されるのか… 辛そう…」と心を痛めずにはいられませんでした…
でもアメリカのレストランで食事をしているとフルーツはなかなか手に入らないので今回フルーツがあったのは個人的にはすごく助かりました!
トークの内容としては今年は比較的Perl6の話題が多かった印象があります。やはり「今年の冬に本リリースをする…かも!」という発表があったからでしょう。ちなみにあまり技術に関係ない禅の心構えみたいなトークも入っていたりして主催者達の試行錯誤がうかがえました。Docker等のコンテナ技術のトークなどもありましたが、その手の「流行り物」トークは比較的おとなしめな印象でした。イベントの性質もあるのでしょうが、ここでもやはり日本人との国民性の差が若干ですが出ている気はしました。
また、Perlというと「ああ、あの古いヤツね」というイメージを持たれてしまうのは大変残念なのですが、古いと言うことは今では皆さんが使っている様々なツール類のルーツがPerlにあったりするのです。例えば今ではよく知られているYAMLは以下の写真のIngy氏を含む数名がスペック策定をしています。そういう人達に出会えるのも今回のように自ら海外のカンファレンスに出向いていく醍醐味のうちの一つです。
1日目の夜はまず「ミキサー」という名称で、参加者全員が参加できるいわゆる懇親会がありました。ミキサーでは何人かの懐かしい顔を見つけたり、見つけられたり。自分の名前を聞いて「ああ、CPANにあるあのモジュール使ってるよ!」と言われたり、「おい、あの日本でPerlの新しい実装を書いてた二人は今何してるんだ」と詰問されたり(笑)色々と話ができました。
ミキサーの後は知り合いのツテもあったのでYAPC::NAのスポンサー向けディナーに招待されて混じってきました。ちゃんとした着席ディナー形式でちょっと面くらいましたが、普段だとあまり話さないであろう人達と話せてとても有意義でした。ちなみにこの写真の真ん中に映っている方、僕と同い年くらいかと思ったらまだ4年前に大学を出たばかりだというので多分30前です。向こうも同じ事を思っているとは思いますが「ガイジンの年わからんわー」と思いました。
メインディッシュ!アメリカンですねー!うーん、(小声)でもこの肉はあまりおいしくなかった… (見た目もイマイチだったのでフォーカスを敢えて野菜に絞りました)
その晩は最後に近所のバーに行き、行ったところでハッカー達の集まりにありがちな色々な議論がはじまっちゃって、最終的にはプレゼンテーション(もしくな実際のコード)を見せて説明するというおきまり?な流れになってました。写真はMoose等の最初の作者であるStevan Little氏が突然「技術とアート」について語り始めた時のものです。
二日目も粛々とカンファレンスは進みます。この日のハイライトは現在のPerl5開発の総指揮をとっているRicardo Signes氏がPerlの作者であるLarry Wall氏に一般公募した様々な質問をぶつけるQ&Aセッションでした。Larryはとにかく不思議なテンポとギャグのセンスがあり、このセッションは彼の人間的な魅力を引き出しつつ様々な彼しかしらないであろう「pack関数はNASAの宇宙計画の中で送られてくるデータの検証を行うために作られた」などのエピソードも含め過去の出来事についての説明等もしてもらえるというかなり興味深いセッションでした。
Larryのトークに興味がある方は是非youtubeの動画をどうぞ!ちなみに最初の10分程度はLarryの声が録音できていないようです…
二日目の最後も参加者向けのディナーがありました。ブラジル出身の参加者を見つけて話していたらPerlコミュニティに長らく貢献しているWendyさんと、Perlで開発をしていたら絶対に彼のモジュールのお世話になっているDavid Goldenさんが我々のテーブルに来て一緒にディナーを楽しむ事ができました。
ちなみにこのディナーについても主催の端くれとしては心が痛む「300人分用意したのに170人しか来なかった」という辛い話を後で聞きました… カンファレンスの主催って大変なんですよ!<宣伝>「カンファレンス運営の本当の裏側」っていう座談会をやっちゃうくらい大変です!</宣伝>
最終日の三日目、まず自分はその前日にチャリティとして購入を約束していた特製Tシャツを受け取りにいきました。これは主催の一人であるJohn Anderson(genehack)氏が腎臓癌の手術のために参加ができなくなった上手術日がちょうどこの最終日に重なるために応援の一環として有志が作成したものです。最終的にはgenehack氏が彼の選択した慈善団体にお金は寄付するようですが、とにかく応援のためのジェスチャをみんなでしたわけです。
というわけで自分も及ばずながら購入をしたのですが、それはなんと、Larry Wall氏、Perl6の主開発陣の一人であるPatrick Michaud氏、そしてPerl5のRicardo Signes氏三人のサイン入りのシャツでした。帰ったらどこかに保管しておきたいと思います
またその後このチャリティTシャツを購入した人達で記念写真を撮りました。
この日は自分のトークがあったのであまり聴講はせず、イメージトレーニングをしみたり、スライドの手直しをしたりしていました(16:9で作っていたのに蓋をあけてみたら4:3のモニターだったので慌てて手直しをしました…)。それでも先日知り合った縁でランチに誘ってもらったのでついていきこれまた色々な話をきかせてもらえました。一番右側の人は「シュワルツ変換」で有名なRandal Schwartz氏です
その後自分のトークでした。技術的な内容はゼロです。どういうことを重要視しながらいままでYAPC::Asia Tokyoの準備をしてきたか、という話で、基本的にはこれからカンファレンスをやっていきたいと思っている人達向けに自分の経験をシェアしたものです。怖くて自分で録画は見ていませんが、まぁ一応言うことは言えた… と思います。
Twitter上では結構評判がよかったようなので、とりあえず安心という感じです。
その後Lightning Talkや最後のキーノートがあったのですが、この辺りで時差ぼけにより力尽きてしまいまともな記録がなくなってしまいました…
ともあれ、三日間たっぷりと技術に関する交流ができました。またいつか参加できればと思います。実はこの原稿はホテルの部屋で書いているので、これから帰国です。さー、また13時間かけて日本にもどるぞー!